革新性が目をひく新しいスマートフォンに一目惚れして購入する時、初めて古物買取アプリやFintechサービスに登録する時。どんな体験ができるのだろうかと期待を寄せる。

そんな私たちの前に、「本人確認」という絶対に省略することができないプロセスが立ちはだかる。

スマホで、さまざまな手続きが簡単に行える今の時代だからこそ、大きく変わらない本人確認プロセスはより面倒に感じる。実は事業者側も同じ思いを持っているのだ。1件ずつの照合作業や身分証情報の保管は、やらなければならないけれど面倒で煩雑、そしてリスクも潜む業務である。

そんな効率化とは程遠い、本人確認の世界にひとつの変革が起こった。2017年の夏に「事業者も利用者も、スムーズに手続きを進められるように」との思いを反映した身分証提出・本人確認のためのAPI基盤「TRUSTDOCK」が生まれたのだ。これは事業者の本人確認業務を代行するものである。

今までに無かったAPI基盤、導入企業も順調に増えている。しかし、そんな成長企業の代表取締役・千葉孝浩は、控えめにこう話す。

「面倒でリスキーで泥臭くて、誰もやりたがらないけれど必要な事業だから、私たちがやっているだけです」

なぜ、彼らはその役目を引き受けているのか。彼らの事業への理解を深めながらその理由を問うていく。

「本人確認は個社ごとに実施」の常識を変えた

TRUSTDOCKは、シェアリングエコノミーなどの領域に注力する株式会社ガイアックスの事業部から独立して生まれた。その時に事業を託されたのが、さまざまな新規事業開発に従事していた千葉だった。

「こんなことを言うのもなんですが、最初はこのサービスが世の中に必要なのか、正直まったくピンと来ていなかった。しかしメンバーは『課題を抱えている人がいる』と言う。そこですべてのアポイントに同行してインタビューを行なったのですが、そこで、金融業界に大きな“ペイン”(課題、負、顧客の痛み)があることを知ったのです」

金融業界で本人確認を含む審査プロセスは「KYC:Know Your Customer(顧客確認)」とも呼ばれ、不正防止のために必須とされている。しかし、面倒な工程であるため、申し込み段階での離脱も多い。仮想通貨が注目を集めたときに口座開設をしようとしたが、想像以上に手続きに時間が掛かり、諦めてしまった読者の方もいるだろう。当然、離脱者が多ければサービスもスケールしない。直接彼らの抱える課題を聞いた千葉は、「シェアリングエコノミーを問わず、今この瞬間、本人確認で困っている人の役に立つサービスを提供していこう」と決意した。

本人確認は、法律要件や規制に則って行うものであるため、原則的には、どの企業も同じ手順で実施してもいいのだが、なぜか個社ごとに本人確認のしくみを作り、リソースを割いて対応している現状があった。千葉はこのプロセスを変えられる余地があると感じたという。

「我々がまとめて24時間365日、KYC業務の代行をすることで、スムーズに本人確認作業を行うことができて、サービスの急成長期にも利用者をお待たせしないで済みます。一方で、事業者は社内スタッフのリソースを自社サービスの企画や開発などのコア業務に集中できるようになると思ったのです」

本人確認にまつわる業務を委託できるだけでも、事業者にとっては大きな効率化になる。法律が改正されるたびにTRUSTDOCKが本人確認API群やアプリをアップデートすればいいだけ。そうすることで、事業者の負荷を減らすことができると考えた。

私欲が無いから社会のイシューへ取り組める

2018年11月末には、「犯罪収益移転防止法 施行規則」が改正された。これにより、金融サービスにまつわる顧客確認において、専用アプリで身分証や容貌の撮影、それらを機械と目視で確認することで、自宅への転送不要郵便での住所確認をせずに、オンライン完結できるようになった。いわゆるeKYCと呼ばれるもので、TRUSTDOCKにとっての追い風だ。

法律や規制は常にアップデートされる。昨日までOKだったことがNGになったり、一方で新手法が定義されて可能になったり。

TRUSTDOCKでは、次にどのような法改正が起こるのかを掴むべく、様々な法改正に関連するドキュメント、ときには100ページにも及ぶPDFを読み解きながら国内外の情報を調べる。また、省庁と法改正について議論を交わす場にも出席するなど地道な活動を続け、汗をかきながら、法改正のタイミングや社会の動きを掴み、サービス提供を行っている。

「ね、大変でしょう(笑)?しかも多数の個人情報を預かるわけです。こんな面倒でリスキーなことは誰もやりたがらない」

そう言って苦笑いをする千葉。目の前にペインがあるとはいえ、なぜこの領域へ飛び込む覚悟を決めたのだろうか。

「事業は、“wish”や“hope”ではなく、誰かの“want”、“need”、“must”のいずれかを満たすものでないといけない。私の興味は常に“must”の領域でした。mustの領域の多くは、既存の枠組みがあるので起業家は避けがち。だけど、一番取り組む面白さがあるし、ビジネスとしてもスケールする可能性を秘めていると思うのです」

本人確認の領域はまさに“must”。千葉の思いにカッチリとはまったわけだ。続けて、千葉はTRUSTDOCKのメンバーの性質を説明する。

「全員30〜40代で所帯持ち。年齢を重ね、家族を持ったことで、『モテたい』『(高価なものやブランド物を)持ちたい』『儲けたい』という私欲が無くなったんですよ。

一方で、母子手帳や保険証、その他、家族や世帯向けの様々な手続きや手当などで、身分証を提出シーンが増え、『この手続きをシステム化することで楽にできないだろうか』と思うようになった。生活に密接した困りごとを実感する機会が増えてきて、社会のイシューに取り組みたいという気持ちが芽生えてきたのです。家族を持つと社会問題が自分ごと化しやすいですが、TRUSTDOCKには、そこに課題があるなら自分たちがやらなければと思うメンバーが集まっています」

事業者側と生活者側どちらもの、本人確認にまつわるペインを解決したい

ここまでで、TRUSTDOCKは事業者の本人確認業務を効率化するサービス、と映ったかもしれない。しかし、事業者だけでなく生活者の利便性向上にも目を向けている。

今後、オンラインで様々な手続きや申し込みをする時、写真付きの公的身分証(運転免許証やマイナンバーカード、パスポートなど)を持っていない場合には、どんどん面倒になる未来が待っている。千葉は、この煩雑な本人確認をなるべくシンプルにしていきたいと構想している。

「運転免許証を持たない若者が増え、シニアの免許返納の動きも活発化しています。海外渡航者も減り、パスポートの所持率も下がり、マイナンバーカードの普及も道半ばです。

すると写真付きの公的身分証を持っていない人達がどんどん置き去りになってしまう。そのために、本人確認手続きをスムーズにする、様々な手法を提供していきたいです。事業者に寄り添ってKYCするだけでなく、生活者に寄り添って、その人の身元証明のエージェントとして、代わりに企業と対話する。例えば、スマホの中にデジタル身分証をいれたりして、手元にリアルな身分証が無い時にも、皆さんの身元証明を担保したいですね。

マイナンバーカード普及推進などの行政が進める取り組みと連携しつつ、民間から、デジタルガバメント構築をお手伝いするつもりです」

目の前にあるペイン、今後生まれるペイン、増えゆくペイン。社会に転がるそれらが見過ごせないから、本人確認にまつわるペインが消えゆくまで、彼らはこの領域で事業を続けていくことだろう。

最後に、私欲がないという“千葉の野望”を紹介したい。

「TRUSTDOCKを、電気・水道・ガスのようなインフラにしたいです。繋いでもらったら、法律を知らなくても、法務担当が社内にいなくても、自然と法律に準拠したビジネスが行えるような。イノベーションを興すよりも、イノベーションが興るための土壌づくりをしたいです。ちなみに、今後TRUSTDOCKがインフラのような存在になったときに、個人的に挑戦したいビジネスもたくさんありますよ。今もGmailの下書きにアイデアを温めています」

 

文・倉本祐美加 写真・小田駿一