「僕、人間的で善良な人と働きたいんですよ」。そうおもむろに語ったのは、株式会社ビットキーの共同創業者であり代表取締役CEOの江尻祐樹だ。

「性善説じゃないけど、オープンでフェアで、本当にいいことをやっている人間がお互いに評価して称え合うというのが善良だと思うんです。つまり、相手に何かしらの価値を提供できる人間。反対に、自分のことしか考えていなかったり裏でコソコソ言っているのは邪悪。一緒に働いていて気持ちよくない」

人間関係のベースであるにもかかわらず、ビジネスにおいては優先度が下がりがちの概念に、江尻は正面から向き合う。この概念は会社の人事、社内制度といった様々な場面における基盤となっている。

続けて、江尻はこう述べた。「僕は、自分の中から物事への興味関心がなくなったら一番絶望する。だから常に何か考えているんだと思うんです」。

哲学や社会人類学、量子力学などあらゆる分野の知識をもとに物事をカテゴライズし、価値観を磨き上げ続けている江尻だからこそ、「性善説」や「人間がより人間らしく」というテーマを自然に取り入れ、社内へ浸透させているのだろう。

そんな純粋な探究心を持ちながら、シードラウンドで3.4億円を調達する注目企業のCEOとなった彼が今、情熱を注いでいるのはブロックチェーンの“その先”を行く次世代ID「ビットキー」の企画・開発・運用。そして同技術を用いたプラットフォームづくりで、その皮切りにビットキーを搭載したスマートロックの提供を直近で開始予定だ。

彼の見据える理想が叶うとどうなるか。まず目の前の生活では、シェアリングエコノミーサービスの利用において必ず発生する「鍵、権利の受け渡し」や宅配物の受け取りを筆頭に、ユーザーの生活を縛るあらゆるものを解放、私たちの自由な時間が創造されるのだ。

世界はビットキーによってデジタルとリアルがシームレスに繋がるようになる。そして、我々はきっと彼のことをこう呼ぶだろう。

「デジタルとリアルをつなぐ、本当の先駆者」と。

仕事終わり、NYの火鍋屋で決めた仲間との起業

サービス名にもなっているビットキーという会社だが創業は2018年8月。前職のワークスアプリケーションズで働いていたときにこの事業、いや未来について考えていた。共同創業メンバーの福澤匡規と寳槻(ほうつき)昌則は、そのときの同僚であり友人だ。

当時、江尻が仕事の傍らで夢中になっていたのが、休日に旧知のエンジニアを集めて行なう先端テクノロジー研究だ。例えば、2012年にはディープラーニングや自然言語処理。まだ当時、オープンソースもほとんどないような技術を用いてキュレーションアプリを創り、日本一の精度を出すまでになっていた……。誰のためでもなく、自身とエンジニアたちの興味関心を追求するため精力的に取り組んだ。このような研究はその後も続いていた。

2017年、江尻はある技術に夢中になる。ブロックチェーンだった。技術的に何が面白いのか、実用性はあるのか。エンジニアを10-15名ほど集めて研究を開始した。イーサリアムをコピーしてきて、オリジナルで動かしてみたり、いくつかのブロックチェーンを実際に触ってみてコードを書いてみたり。試行錯誤をくり返すうちに、長所と短所、それぞれが見えてきた。

ある日、寳槻と出張でニューヨークを訪れた江尻。その日の仕事を終え、ダウンタウンの中華街にある火鍋屋で食事をしていた。他愛もない話で盛り上がるなか、いつしか話題はブロックチェーンに。

あの時、頭の中でバラバラだったパズルのピースが一つひとつ組み合わさっていくようだったと江尻は振り返る。寳槻との会話の末に、最終的に浮かび上がってきたアイデアとビジョン。それこそがカギだった。

「ビットキーの仕組みはそのときに着想したんです。で、日本に帰ってきてすぐ福澤くんに声をかけました。この2人とは仕事仲間としてだけでなく、友人としても信頼関係を築いていたので。事業をやるのなら、絶対に彼らが欲しかった」

世の中の課題を解決する鍵をつくり、僕たちが鍵になりたい

帰国後、すぐにエンジニアを招集した江尻は、技術的な理解を深めると共にブロックチェーンや様々な分散システムをもとに何をどう変えて構築していけばいいのかを考え始めた。

ブロックチェーンはヒストリカルなデータとの親和性が高い。一方でデータ量が多いものとは相性が悪く、外側で起きているトランザクションデータの正当性を判断することが難しいとわかった。

この2つの問題をクリアしていくためにはどうしたらよいか。

鍵を構成する、鍵を鍵として成立させるための必要な要素は、個々のIDとそこに紐づく権利だ。権利の移動や譲渡という取引に対して鍵を発行して鍵穴をペアリングするのがビットキーの役割と言える。

しかし、IDと権利をビットキーというプラットフォームにデータとして保管してもらうためには安全性が担保されていないといけない、そうでなければ信頼してもらえない。

「人と人は何度か会って話せば信頼を積み重ねられるけれど、データはあくまでデジタル情報。リアルで対面することとは違い、正しいのか判断するのは難しい。じゃあデータを、プラットフォームをどうやって信頼してもらえばいいのか。実用的価値や内面的価値、社会的価値などあらゆる価値を高めていくことにフォーカスしてデジタル化していくことが重要なファクターになります」

専門的な言葉ではイメージしづらいかもしれない。つまり江尻、そしてビットキーが目指していることは「デジタルとリアルをつなぐ鍵の再発明」を通して、より人々が創造的に過ごせる世界をつくることなのだ。

自宅はもちろん、自家用車や自転車、郵便、Webサービスのログインも含めると、私たちの生活にとって鍵は必要不可欠である。鍵のない世界など、危険すぎる。しかし、インフラ要素でありながら数百年として考え方、そして技術において鍵には大きな変化がない。

鍵に変化が起これば、例えばこんな未来もすぐに叶う。「配達業者や家事代行によるワンタイム利用」「シェアリングエコノミーにおいて欠かせない、一時的な権利の移転を簡単・安全に」「Web上だけでなくリアルな空間での移動」 など。鍵を安全に送り合う仕組みが出来れば、より創造的な時間が生み出せると江尻たちは見据えている。

僕らが熱狂しなければ、市場は動かない。熱狂させなければ

ここでふと、疑問に思った。これだけ壮大な世界、いや未来を実現しようとする際、自分が描くビジョンを相手に伝えるのは難しいのではないだろうか、と。

「エンジニア、マーケティング、コーポレート、セールスパートナーシップなど、様々なメンバーに事業のことを伝える機会がありますが、そのときに意識しているのは世界観を伝えることです。この世界観で、僕らは価値や人間性みたいなものに重きを置いてサービスをつくりたいし、チームをつくりたいということを伝えています」

なお、世界観は社内に浸透しており、誰がどの切り口で話しても、その根本は共通している。社員間には情報格差がなく、全員で世界観を共有しているからこそ、同じマインドで事業に取り組める、かつ新しい仲間もミスマッチが少ないのだ。

「ビットキーには共に働きたくなる人が集まるとメンバーから聞くこともあります。この人達と一緒に働きたい、と自然と思えるような環境を整え続けることは、会社がどのような規模になっても変わらず追求したいことですね。価値を生み出し合い、自身の幸せも追求してほしい。これは、創業時からの変わらぬ願いです」

月並みな表現になってしまうが、ビットキーは社会に対して、“劇的な”価値を提供するサービスだ。たった1カ所に自身のデータを保管するだけで、デジタルとリアルを繋ぎ、あらゆるサービスをシームレスに使えるようになる。つまり、プラットフォーマーとなって利益のみを追求したいのではない。人々の生活をより創造的に、より自由で、より安心できるように変えようとしているのだ。

「これまでにない、全く新しいものを世に誕生させていく上で鍵となるのは、我々がプロダクト・サービスにどれだけ情熱を注げているのか、その思いの強さだと思っています。今期、全社で掲げているテーマは「熱く狂う」なんです。市場を巻き込んで、狂ったように熱くさせたい。この思いを現実化するために、まず、今年2019年は我々自身が熱狂して行きたいと思っています」

 

文・小山典子 写真・小田駿一