SDGsに代表されるように、いまビジネスでは社会にもたらす「意味」がよりシビアに問われるようになっている。

とくに若年層の間で、たとえば商品選びや仕事選びをする際など、企業の社会的側面に目を向ける傾向が強まっていることは、多くの人が知るところだろう。

だが必ずしも、そうした「意味」だけで私たちの生活が成り立っているわけではない。

今回登場するのは、エンターテインメント業界で活躍する二人の雄だ。

彼らが扱っているのは、人々に娯楽を提供するコンテンツである。娯楽?いや、時としてエンターテインメントは人々の人生に大きな影響を与え、娯楽の域にとどまらないものを私たちに届けてくれている。

不要不急という言葉が生まれた時代......一見、不要かもしれないエンターテインメントの世界だが、紐解くと、人の成長のヒントが見えてくる──。

アカツキに新卒で入社し、20代初の執行役員としてHead of IP Businessの大役を任された野澤智信。そして、「ドラゴン桜」や「宇宙兄弟」といったヒット作の編集を担い、現在はコルクを経営するCEO・佐渡島庸平の言葉から辿っていこう。

ゲームやマンガといった作品に関わるエンタメ。それを仕事にすることの真髄とは。


マンガの主人公だった男と、主人公に人生を変えられた男


野澤:まず、これは本当の話なのですが、私は佐渡島さんに人生を変えられた1人なんです。小さい頃からずっと栃木の田舎の野球少年だったのですが、高校3年の夏に野球部を引退し空虚な時期がありました。その夏、ふと図書室に立ち寄って、漫画「ドラゴン桜」に出会ったんです。

そこで生まれて初めて「勉強」に出会い、作品のまねをして塾に通わず参考書を買って、独学でドラゴン桜の勉強法を実践していました。後日、佐渡島さんのYouTubeチャンネルで、その勉強法が佐渡島さん自身の勉強法だったことを知り、私は「主人公の桜木に育てられたのであり、佐渡島さんに育てられた」のだなと。

東大には落ちてしまったのですが、結果慶應に進み東京に出てきて、今のキャリアに繋がっています。「ドラゴン桜」という漫画がなかったら今の自分は、絶対にありません。

コルク CEO 佐渡島庸平

佐渡島:野澤さんとは「ゲームの作法」を教えてもらうためにアカツキに行ったのが最初の出会いでしたが、そんなに熱心な読者だったとは。

でも私が編集した作品は、ゲーム化には向いてないって言われることが多いんです(笑)。対戦だとか、ゲームの作法に合った要素に欠いているので。そういう目で最近当たっているマンガを見ると、“ゲーム的”な枠組みを取り入れたものが多いなと気づくようになったんです。

はっきり定義できるわけではないですが、人が物を見るとき、それぞれが何かしらのフィルターを通します。

ゲーム的なとらえ方をしたら、「敵を倒してレベルアップする」「スキルを身に付ける、武器を手に入れる」とか。

一方で「人間には成長なんてなくて、諸行無常でグルグル回っているだけ」という見方もあります。

野澤:最初はゲームのほうが現実のメタファーだったはずが、今は逆に現実をゲームの枠組みでとらえる人が増えてきているのかもしれません。

ゲームは超平易に言い換えると「目標達成と成長のエンターテインメント」で、この枠組みから企画をスタートしています。私も無意識に佐渡島さんのいうゲームの作法に則って社会を見ているのだと気付かされます。

最近はマンガ原作のゲームも多いですが、ゲームにしやすいかどうかという意味だと、いわずもがなキャラクターが最重要な要素です。キャラクターの数と、困難を乗り越える時に何かしらの“メタモルフォーゼをする(わかりやすい進化を遂げる)”のが、ゲームっぽいキャラクターだなと思います。

佐渡島:野澤さんが先ほど話したように、本来の時系列だと現実が先にあったのですが、黎明期のゲームクリエイターたちが現実をすごくうまく省略した。すると、ゲームから現実を学ぶ人が現れ始めたんです。

ゲームの枠組みで世の中を語った方が、すごく分かりやすい。たとえば資本主義社会では、資産が増えていくことがレベルが上がっていくように見える。そのせいか、資産が多い人の方が、少ない人よりも頑張ったみたいな雰囲気があります。

野澤:実際には運に恵まれて資産が増えることもありますし、資産だけがモノサシじゃないと分かっていても、無意識にそういう捉え方になりがちですよね。

佐渡島:物語をつくるとき、私が作家に期待するのは、その人のモノサシ、いわば「世の中を見る新しい目」です。

私は作家と接して、「あなたの目からはこう見えていたのか」という経験をしたくて作家を探しているとこがあって、それが私にとっての作品づくりの醍醐味の一つなんです。


ヒットメーカー佐渡島流・人材“進化”論

野澤:そう聞くと、佐渡島さんは作品づくりの型のようなものを、あえて持たないスタンスなんですね。モノサシは人それぞれだと思いますが、作家の魅力をどう引き出していくんですか?

佐渡島:コルクでは、作家がたどる4つの段階を定義しています。一概にレベルの高低だけで判断できないので、下から上に行くような階段型のモデルではなく、横軸と縦軸で分けた4象限にしています。

横軸に「絶対―曖昧」、縦軸に「創造―模倣」と置きます。何事も、最初は型がないので、アウトプットが曖昧で模倣がないところからスタートします。新入社員をイメージすると分かりやすいと思います。

まずは絶対の答えを覚えて、毎回テストで高い点数が取れるようにすることを目指します。実は学校教育も、基本的にそれを目指す旅なんです。「絶対x模倣」というのはいわば多くの人に共通するモノサシなので、テストの点もそうですし、資産もそうです。

野澤:下の2象限は、合理の徹底追求というか、すごく資本主義社会的な価値観とも言えますね。

佐渡島:それが悪いというわけでもないんです。たとえばコンサルタントなどは、この「絶対x模倣」を極めた最強の人だと思います。

この象限に来るまでのカギは、量をこなすこと。

野澤:よく「若いうちはとにかくたくさん仕事をしたほうが良い」っていう考え方がありますが、こう見ると理にかなっているのかもしれません。

佐渡島:でも一方で、「仕事なんかそんなにしなくていい」という考え方もありますよね。これは対立する考え方じゃなくて、次の象限に行くときの話なんです。「絶対x模倣」は、成功体験を積み重ねて成長していきます。

ここから模倣の域を出ようとすると、次は「絶対x創造」です。模倣が創造に変わるので、「0→1(ゼロイチ)の旅」だともいえます。

野澤:「絶対」とはどういうことなのでしょうか?

佐渡島:たとえばマンガのメジャーなテーマである友情でいえば「友情とは」という問いに対して、必ず「友情=いつでも助けに行く」という、ある種の常識というか、絶対にぶれない価値観ですね。

ハリウッド映画も少年マンガも、エンターテインメントと呼ばれるものは基本的にここに属しているんです。

野澤:「期待感づくり」と「その答え」というエンタメの基本構成ですね。読者の「まってました!」を生み出すこと。

ゲームではそれを「カタルシス設計」と言ったりして「気持ちいい」を複合的に計画していきます。まさにクリエイティブだけど論理で辿り着きやすい絶対の世界ですね。

佐渡島:最後が、その右にあるアートの世界です。

野澤:「創造x曖昧」ですね。

佐渡島:実は私が「ドラゴン桜」や「宇宙兄弟」で目指しているのは、この象限です。「宇宙兄弟」でいう友情は、月面で誰かが死にそうになった時に、必ずしも助けることじゃないんです。

「絶対と曖昧」というのは、「答えと問い」と言い換えられるかもしれません。私は、常にこの問いを作家とつくることにトライしているんです。

野澤:なるほど、すごく面白いです。与えるものは「正解」ではなく、作者と読者にゆだねる「葛藤」なんですね。

佐渡島:ただ、新人作家が最初からそれを追求できるわけではなくて、同じ「曖昧」でも「曖昧x模倣」の状態にいます。すぐ上に行こうとしても、実際にはそれは非常に難しい。平たく言えば、訳が分からない作品になってしまうんです。

基本的にこの4象限は、「曖昧x模倣」からスタートして右回りにしか進めないんですよ。ピカソもモーツァルトも、みんな同じ道をたどっているんです。

野澤:まずは模倣しながら技術や型を身に着けていって、徐々に自身のクリエイティビティや哲学が作品に現れていく、ということでしょうか。世阿弥の言葉にも「花は心、種は技」という、この順序を説く言葉がありましたね。

佐渡島:最初の段階は模倣できる技術なので、自分の中で情報を整理することが実力につながります。マンガで言えば、企業マンガが実は情報整理の良い土台だったりします。

情報整理ができるようになると、次は上段に進んで「読者が抱く感情を整理・デザインすること」を目指す。これができるとヒット作を狙って生み出せるんです。

クリエイティブは一般的に再現性が低いものとして思われがちですが、情報と感情の整理は、どちらもスキルとして身につけられると思っています。

そして右上にある最後の象限では、新しい問いを見つける作業が必要になる。ここは作家が自分の人生をかけて問いを見つける行為なんです。

この問いを見つけるためには、編集者やプロデューサーのような人間がいて、作家とガチガチにやり合わなきゃ引き出せないと思っています。

「あなたの人生でこの作品をつくる意味は?これによって誰か助かる人がいるの?意味ないんだったら辞めちゃえば?」と問うわけです。

私の仕事は、何人の作家をそういう境地に連れて行けるかなんです。

娯楽を超え、ゲームは社会に何をもたらせるか


野澤:それをゲームに置き換えると、何のためにゲームがあるかという問いに行き着きそうです。

佐渡島:ソーシャルゲームとひとくくりにすると良くないですが、たとえば「ポケモンGO」や「ポケモンスリープ」はすごい。あのゲームによって歩くことや睡眠の意味が変わったといえますよね。

寝る前にストレッチしたり、お風呂入ったり、めんどくさくてやめようと思うことでも、ポケモンスリープのおかげでやる人が増える可能性が増えます。そうすると、ゲームによってうつ病で悩む人の数が減ることにつながるかもしれない。

野澤:単に夢中で楽しめるだけでなく、現実の世界に意味をもたらす領域までいくことで、ゲームの意義も変わりますよね。

佐渡島:「ポケモンGO」の設計思想には最初から人を健康にすることが入っていたように感じられます。その分曖昧さが残されている部分もある。

野澤:健康になるために対戦してもいいしポケモンを集めてもいい、という曖昧さはたしかに業界の常識から外れるので、「絶対」がない不安さはありますね。

とはいえ、誰かを幸せにするためにゲームが使われる余地が確かにあるので、私たちもそこを諦めたくないと思います。

アカツキ Head of IP Business(執行役員)野澤智信 

佐渡島:コンセプトという意味では、「人々を健康に」という考え方に反対の余地がない。そうした当たり前の言葉は、受け入れられやすい反面、制作者の内側から出てきたものでない限り、その“綺麗事”に対して頑張れない面もあります。

野澤:だからこそ作家の内なる「問い」が大事だと。

佐渡島:「人々を健康に」という問いでも、「健康とは何か」という問いになりますよね。たとえば病がある人は不幸せなのか。

そうしたことを考えるうちに、自分の中で健康の定義や哲学に行き着くはずです。「問い」が良いものであれば、そうした自問自答や葛藤が必ず現れて、答えが絶対的なものにならないからこそ、「曖昧」にせざるを得ない。


誰かのモノサシではなく、自分なりの「問い」を持つことの大切さ

野澤:働くことも、働くとは何かという「問い」ですね。

佐渡島:その通りです。働くことも同じだと思います。エンターテインメントの会社に入ったから楽しいのではなくて、どんな仕事でもエンターテインメントにできてしまうことができないと、そもそも良い作品が作れないんじゃないかと思います。

自分で野原をサッカーコートに作りかえるのであれば、サッカーをする前の工程も楽しいはずです。それと同じで、エンターテインメントをつくるのは、人の心を動かすためにどんな苦労もいとわないこととイコールだと思います。

野澤:エンタメという仕事は、顧客への向き合いと同じくらい、自分との向き合いが必要になってきます。日々、世の中と自分の共通点・共感点を探し出す不安のなかで仕事をしていて、ぼくらはいつも「自分」を見つけることにも必死です。

佐渡島:遊びながら生きるかどうかは生き方の姿勢なので、会社に入って変わるものではないと思います。仕事を「我慢するもの、我慢の対価」としてとらえるのではなく、先にある遊びを自分がイメージ出来てるいるからこそ、あえて面倒なことを自分からやれる姿勢こそが強いですよね。

野澤:そうですね。「割に合わない」というのもお金がモノサシになっていることの現れかもしれません。作家志望の人だけでなく、すべての働く人が自分の「曖昧」に向き合って探し続けていくことが、これからの時代ではますます重要になっていくのだと思いました。

文・小野祐紀 写真・小田駿一


【編集後記】

「佐渡島さんに僕は人生を変えられたんですよ」

野澤氏の思わぬ告白には佐渡島氏はもちろん、我々も驚いた。編集者として自分をモデルに作品を導き、「誰かにとって役に立つもの」を作った結果、対談という形で人生を変えた人と変えられた人が出会う。

エンタメと聞くと娯楽のイメージが強いが、それはあくまで一面。作品を作るという観点で見れば、それは誰かの人生にとっての選択肢を与えるということにもなる。

今度は野澤氏が誰かの人生をポジティブに動かす、変えていく作品を作ってくれるだろう。エンタメに関わること、なんとも贅沢な仕事だ。

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